ウォールストリートジャーナル:ヒト受精卵に世界初の遺伝子操作-中国チーム、国際的な物議

記事要約

 中国の科学者チームが、ヒトの受精卵を使ってゲノムを編集する遺伝子操作実験を行った。この実験の結果、研究チームが望んだ変化は得られず、いわゆる“副作用”が残った。

疑問

 この実験に対する世界の反応は?生物倫理観から見た遺伝子操作とは?

考え・主張

 遺伝子操作は、科学者・倫理学者の両者から取り上げられる問題である。多くの科学者や倫理学者はこれに反対しており、今回の実験は、ヒトの受精卵で遺伝子配列を操作する世界で初めての実験であり、大きな物議を醸すのもやむなしと言える。
 今回の実験は失敗したようだが、ヒトの受精卵に遺伝子操作をしたという事実は変わらない。いずれこの実験が成功すれば、本格的なヒトに対する応用がなされる可能性がある。
 なぜそれほどまでに遺伝子操作が批判されるのか。それは生まれてくる子供たちが親など大人に今まで以上に支配され、“大人が望む子供”(デザイナーズ・チャイルド)に仕立てあげられるからである。
 遺伝子操作は遺伝病を防ぐことができるなどと言われているが、応用次第では子供の髪の色や眼の色、果てには知能まで操作できるという一面もある。全てが良い事だと思う人もいれば、悪い事だと思う人もいるだろう。
 私は遺伝子操作を悪いことだと思う。子供に対して遺伝子操作を行いたい人だけを対象にして、それ以外は利用しなければいい、という自由の保障を唱える人もいるかもしれない。だが、それでも遺伝子操作をしていない子供の周りに、遺伝子操作によって良い容姿や知能を持った子供が現れた時、遺伝子操作されていない子供は劣等感を抱くに違いない。その結果、子供は親に対して『なぜ遺伝子操作をしてくれなかったのか』という恨み事を述べることになり、親も子も不幸になってしまうことになりかねない。
 そんな多くの者が不幸になる技術は必要ない、と私は思う。遺伝病というのも生物である以上自然に起こってしまうものであるし、人が手を加えて発生を抑えてしまうのは不自然すぎると言う他ない。
 科学と違って、倫理に正解はない。こんな意見も数ある主張のほんの一部に過ぎず、遺伝子操作は個人が正解を判断できるような問題ではないのだ。